関東人の日記

~感想人~

『BioShock』と『BioShock 2』と親子の話

『BioShock』

これは『BioShock』『BioShock 2』を終えての感想です。

ネタバレを含むため、ご注意ください。

JackとRyanと『BioShock

ここで君に尋ねよう。

人は額に汗し得たものを、自らのものにする権利があるだろうか?

(中略)

そこは芸術家が検閲を恐れず、科学者がささいな倫理観に縛られず、

偉人が凡庸な者に抑圧されることのない都市だ。

そして君が額に汗するなら、Raptureは君のための都市になるだろう。

Andrew Ryan. "BioShock"

科学者や芸術家があらゆる束縛を受けず自由な活動をできる海底都市「Rapture」。懐古的未来(=Retrofuturism)のような、かと思えば1960年代を詰め込んだ懐古的過去とでも言うような雰囲気を纏っているどこか不思議な巨大建造物。主人公Jackは飛行機事故に巻き込まれ、偶然この海底都市に足を踏み入れる所から話は始まる。

最高権力者Ryanは個人主義自由主義を信条としRaptureを建設しました(ですが最終的に治安は維持できず、圧政によりRaptureを統治することになる訳ですが)。この二つの信条の真髄はRyanと対峙したときに発せられた次の台詞だと思います。

つまるところ、人と奴隷の違いは何だ?

財産や権力か?いや違う。

人は選び、奴隷は従うのだ。

Andrew Ryan. "BioShock"

ここでJackはRaptureで造られた、Atlas(=Fontaine)の命令を聞き実行するためだけの人間だったとわかります。この場面は二つの意味を持ちます。己の意思で脱出を図ったつもりのJackはFontaineの操り人形であり、そしてそれを操作していた我々もそうであったということです。

前者が主題ですが少し逸れ後者についても述べます。この場面は開発者曰く「究極の侮辱」です*1。我々は自分の意思で操作していたのかと思ったらそうでなかったからですね。ここまでの誘導が非常に美しく描かれていると思います。Jackも我々も、Atlasにお使いを頼まれても文句ひとつ言わずに応え、難なく様々な重火器を扱い、ADAMやPlasmidsの概念にも適応していきました。何が待ち受けても我々は「あぁそういう設定なんだな」と軽く受け流します。故に我々は己の意思で死を受け入れたRyanがただ殴殺される様子を傍観し衝撃を受けます。そのようなmetaな視点まで含め内包し、ある意味で"慣れた"我々ほど気づきにくいこの仕掛けに脱帽しました。

閑話休題。JackはRaptureで造られたと述べましたが、実はRyanの遺伝子を受け継いた、Ryanの子供そのものです。FontaineはRaptureの警備を掻い潜り全権掌握するため、Ryanの遺伝子を継ぐJackを用意しました。Jackが作戦の要と言えますが、ここが運の尽きですね。従属するくらいなら死を選ぶような「自由」の権化であるRyanの息子を駒に選んでしまいました。結果、JackはTenenbaum博士の協力を得て、Fontaineは打ち倒されることとなります。

Fontaineとの戦いで、Raptureの理念の抱える矛盾と対峙することになります。述べた通り、Raptureでは自由で何者の束縛も受けず、自助努力で得たものは全てその人のものです。ですが、Raptureにおいて親と子はどうなるでしょう。親は子の全ての権利を持ちうるのか、子の自由意志はどうなるのか。これはFontaineと作り出されたJackもそうですし、Raptureとその住民の関係もそう言えると思います。結果として、Raptureは理想とはほど遠い存在となりFontaineも敗北したことから、Raptureの理念は間違っていたと提示されたのだと思います。

一作目の主題は「自由」の話だと思いますが、その随所に「親子」の話も散りばめられていると思います。Big DaddyとLittle Sisterもそうですし、己の所業を贖罪しようとするTenenbaum博士とLittle Sisterや、述べたJackとRyanもそうです。この主題は次作でより拡げられたと思います。

DeltaとEleanorと『BioShock 2

精神科医Sofia LambはRyanと正反対の思想を持ち、そのことが原因で収容所に送られる。Ryan亡き後にRaptureを支配し、自らの野望のため娘Eleanor Lambに実験を施す。主人公である実験体Deltaは旧式のBig Daddyであり、Eleanorと離れると絶命してしまうという特殊な強い”絆”が結ばれており、Tenenbaum博士や実業家Sinclairの手助けを受けながらEleanor捜索を行うという所から物語は始まる。

Sofiaは娘EleanorをRaptureの指導者とするため、無理やりに教育を施します。また、EleanorのADAMへの耐性と、ADAMに記憶が含まれるという特性を利用し、Rapture市民達の記憶をEleanorに流し込みまさしく公益だけを考える存在に仕立て上げようとします。過干渉で独善的な母親ですね。

対する実験体Deltaは、ただのBig Daddyです。偶然によりEleanorとLittle Sisterの関係を結んだが故に今作の主人公となります。物語開始時点でDeltaは亡くなっており、Eleanorの計略によりADAMが注入され再び動き出します。見方によっては単にEleanorに利用されただけの哀れな存在ですが、Eleanorに与えた影響は計り知れないでしょう。Sofiaが押し付けがましい母親とすれば、Deltaは何も口に出さず背中で語る父親です。ADAMを介してEleanorはDeltaの行動を観察し倫理観を学びます。

パパにとっては 赦すことが勝利だった…

犠牲を払い苦しみに耐え そして全てを 許したの

いつもね…

Eleanor Lamb. "BioShock 2"

Deltaの最期には、ADAMとしてEleanorに人格と記憶が吸収され、共に行きていくことになります。実の母の謀略を"偽の"父が打ち破り、娘はその姿から成長する。良い終わり方ですね。

親と子の関係は、前作でもBig DaddyとLittle Sisterから暗喩されていたと思います。今作では、そこからBig Sisterが登場し、これは親離れを暗喩していると思います。Little Sister(=子供)であったEleanorは成長し、もはやBig Daddy(=親)の庇護を必要とせず己で生きていくという終わり方です。

前作で親と子の関係が提示され、今作で子の成長が描かれました。そしてDLCで、子が何を成すかに注視されたように思えます。

C.M.PorterとThe Thinkerと『Minerva's Den』

実験体Sigmaはある目的のためRaptureの中枢Minerva's Denへと向かう。それは中枢にある人工知能「The Thinker」を奪取するためである。Tenenbaum博士の協力者Charies Milton PorterはThe Thinkerの開発者のひとりである。もうひとりの開発者Reed Wahlの暴走を止めるため、Sigmaに協力しThe Thinkerへと向かう。

しかし物語の最後に、今まで協力を受けていたPorterは、The Thinker自身であったとわかります。The Thinkerは未来予知にも匹敵する演算が可能です。この高度な演算能力を利用し、Porterは第二次世界大戦で亡くした妻Pearl Porterの人格の複製を図ります。ある種の完成に近づいたとき、そんなことをしてもそれは妻ではないと気づき、人格複製の処理を停止するようThe Thinkerに言います。このRaptureにいる人間とは思えない素晴らしい倫理観の持ち主ですね。

PorterはWahlの策によりまもなく実験体に改造されるという中、The ThinkerにRaptureを脱出するよう命令を残します。この命令によりThe Thinkerは自ら考え、実験体に改造されたPorter氏を救い出し、自らをPorterと偽装し己を盗ませます。そして地上でThe Thinkerを利用し実験化したPorterやADAMに苦しむ人間を救うよう計算させるつもりだった訳です。

このPorterとThe Thinkerも、ある種の親子のような関係であったと言えます。物語を進める中、PorterはThe Thinkerに様々な音声を入力し学習させている様子が痕跡として見られます。まるで親子の対話のように。Rapture脱出命令についても、単にThe Thinkerが脱出するだけであれば他に方法もあったかのように思えます。しかしThe ThinkerはSigma=Porterと共に脱出することを選んだ訳です。真珠(=Pearl)には誠実さや純粋さの象徴と言われます。Pearl Porterの再現に躍起となったがためにそのように育ち、このような結末を得られたのでしょう。ある意味で亡き妻との間に残した子供と言えると思います。

おわりに

BioShock』二作を終えて、この海底都市Raptureの事件は終幕しました。この作品は長すぎず短すぎない物語の中で一貫した主題を描いていたと思います。JackやThe Thinkerの存在など、驚きを与え展開させる手腕にも感服しました。なかなかに満足感を得られたため、海底都市での物語を終えた今、備忘録の意味も含め感想を書きました。

次作『BioShock Infinite』は空中都市が舞台であり時代もこの二作より前のため、様々な転換があるように思えます。楽しみにしながら筆を置きます。