関東人の日記

~感想人~

『ストーリー・ストーリー』のストーリー

出来るはずさ (挑戦しなきゃ)

ストーリーテラー (覚醒して)

物語(ミライ)を変えろ!

NEO THEORY FANTASY

アンティーカのシナリオイベント『ストーリー・ストーリー』を読んだ感想です。

Reality | Real

『《泣いたら退去!グッドラフ・テラス》』

『出演者が1回泣けば1ペナルティポイントが加算され

全員で計25ポイントが貯まると撮影が打ち止めとなる』

よくあるリアリティショーですね。 しかし”よくある”と言えるほど大衆的な番組に出演できるあたり、アンティーカの人気を伺えます。

アンティーカの互いの仲の良さは、我々から見てもはや何か言うまでもないでしょう。 せっかくの共同生活ですから皆が楽しみにこの撮影を待ちました。 いつもの休日の日常なら何も起きなかったでしょうが、これは仕事です。

高校生組たちの迫る定期試験を支えたい年長組。 年長組たち仕事の宣伝のため、なんとか6回分番組をもたせたい高校生組。 番組の”数字”を求める番組スタッフ。 ここで前者2つと後者1つが構造的に対立します。

高校生組たちは数字の取れる番組を勉強し、自主的に撮影を追加します。 しかし所詮は付け焼き刃の真似事、提出した場面は「使えない」と一蹴されます。

確かに高校生組の意図は失敗に終わりましたが、その後の対応が良いですね。 ファン感謝祭を経て、自分から率先して相談へと向かった咲耶が顕著かと思います。

ここからが283プロと番組スタッフの対立を深める点だと思います。 番組スタッフもプロですから、得られた材料は”使える”ように料理します。 歪に加工された編集により、「ギスギスとしたアンティーカ」の物語が提供されます。 和気藹々としたアンティーカの相談シーンも、三峰結華が中心に立ち痛烈に批判するシーンとして加工されました。

この転換は凄く上手に機能していて良い意味で悪趣味さに感動します。 周囲への気配りに長けた結華も、逆に言えば環境を人一倍察知し敏感に受け止める。 今回の物語でも、疎い恋鐘に対して機微を察知して助言したりとバランサーの役割をしていましたね。 自分の行動によりまた番組に編集を受ける可能性を考えれば、雁字搦めになりもはや動けない。

ここで恋鐘は”家出”を決行します。 奇しくも P も同様のことを考え、ここに駆けつけます。 過去のアンティーカのコミュを読んでいると、何かがあったとき別の場所へ行くという場面が見られます。

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「からっぽの家」

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【は~と♡に火をつけて】「Dまいなぁ~せぶん、の感じ~」

気分を変える、悪い環境を変えるというものと共に、”アンティーカ”は場に宿るものではないのだという想いなのかと思います。

P に車を出して貰い作戦会議が行われます。 番組側から提示される物語とアンティーカの方向性の不一致。 ここで過去のシナリオイベント『おもちをつこう』が関わってきます。 霧子からの提案により、こちら側から”物語”を提供しようということになります。 しかしながらこれまでを見てもわかるように、悪意ある編集でまた捻じ曲げられる可能性もあります。 ですが「嘘のアンティーカが作られることより本当のアンティーカがない」ことの方が間違っています。

高校生組の試験という事実をスポ根熱血物語として加工しアンティーカは提供します。 設定した点数を下回ったら即退去という罰ゲームも科してよりキャッチーにして。 この提案の上手い点として、成功すればもとより、失敗した場合でも番組から逃げる道も残している所ですね。

今までのシナリオイベントもそうでしたが、方向性は合わない相手ではありますが番組側も敵ではないという点があります。 アンティーカの提案した物語を受け撮影から放送のスパンを短縮しより視聴者の熱を煽ります。 ”数字を取る”という目標が一貫していて良いですね。

こうして全6回のオンエアも無事終了し、恋鐘・結華の次の仕事へとバトンは渡されました。

ダシしみしみの人

さて、この物語はメタ的視点でも見ることができると思います。

この Twitter での予告を見たとき、私は「タイトルに映る眼鏡、予告の最期から三峰結華が何か問題を起こす」と期待しました。 言うまでもなく結果は違いましたが。 この期待は、私がアンティーカに勝手な物語性を期待したに他ありません。 予告の時点で既に『ストーリー・ストーリー』内で繰り広げられた構造に組み込まれていた訳ですね。

恋鐘は結華のファンはダシのしみてる人、と表現します。 独特な表現ですがファンならちゃんと見、考え理解できるという意ですね。 これが中々痛烈で、言い換えれば勝手なことを言う輩はファンではないという訳ですから身がつままれますね。 余談ですが結華がダシから料理を作るとき、本格的なものは時間がかかると言う場面があります。 ”ダシしみしみの人”になるためにはそのくらいの時間がかかるということですかね?

ダシしみしみの彼らがちゃんと理解できるのは、当然ながら物語が脚色、歪曲していても真実が混ざっているからでしょう。 本編でも「本当のアンティーカがない」ことへの憂いは語られました。 これはこのお話で霧子が最後に見せたこのセリフからも読み取れると思います。

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「家の物語の話」

これは「カメラの外でも嘘じゃないストーリー」にすると話す摩美々に対しての言葉です。 このシナリオでは、「ストーリーを提供する」ということが中心に語られました。 ではすべてが物語なのか?と言う疑問を持ったときのひとつの解答がこの霧子のセリフです。

まず「自分」という対象があり、そこから「物語」という射を通して映された対象を、我々は見る。 どのような射を通すかは、このシナリオでも語られたように様々な方法があるのかと思います。 しかし、始域である「自分」に関しては何も変わらない。 生きているということはただそれだけが存在しているため、真偽も存在しないということだと思います。

少し逸れますがどのように見せるか、というと私は冬優子や愛依を思い出しますね。 どちらも見せたい、より良く見せるべきために物語を付与しています。 アンティーカのユニットコンセプトであるゴシックも、見せ方だと思います。

また、この霧子の観念は【我・思・君・思】でも触れられていますね。 霧子の持つ「存在」に関する観念が一貫して描かれていることがわかります。

番組の中でも、カメラの外でも、言うまでもなく彼女らは存在する訳で。 そのようなものから受ける認識や評価というリアリティの外側には、生きているというただ存在するリアルがある。

そのような不可侵の領域を表現したお話だと私は思いました。

救いよりボクららしい 真のエンド

予定調和は無い

在ったのは揃いの気持ちだけ

NEO THEORY FANTASY

まとめ

ストーリー・ストーリーは、アンティーカがアンティーカらしくあるため、物語を自ら選び見せるお話でした。 言うまでもなくこのお話は虚構ですが、我々の見えない”外側”では生きる彼女らがいるという実在という、ある種の希望が提示されるものでもあるかと思います。

俺もちゃんとダシしみしみの人になりてぇ…。 そのためにも理解しようとする姿勢を続けたいものですね。

余談ですが、記事を8割程度書いてから一旦置いておくと、満足して残りの2割を書くのにイベント開始からここまで時間がかかります(報告)。 もうまもなく始まる「くもりガラスの銀曜日」を楽しみにしながらここで書き終えます。